Salesforceコンサルタントとして、日々多くのお客様から「顧客との関係をいかに深め、一人ひとりに響くコミュニケーションを実現するか」という課題についてご相談をいただきます。この課題に対するSalesforceの強力な答えの一つが、Marketing Cloud Engagementの中核をなすJourney Builder (ジャーニービルダー) です。本記事では、コンサルタントの視点からJourney Builderの戦略的な活用法を、その背景からベストプラクティスまで徹底的に解説します。
背景と応用シナリオ
現代の顧客は、企業からの画一的なメッセージに飽き飽きしています。彼らが期待するのは、自分の興味や行動、タイミングに合わせた、まるで自分のためだけに用意されたかのような体験です。例えば、ECサイトで商品をカートに入れたまま離脱してしまった顧客に、数時間後「お買い忘れはありませんか?」というリマインダーメールが届く。あるいは、新しいアプリをダウンロードしたユーザーに対して、その使い方をステップバイステップで案内するウェルカムシリーズが開始される。これらすべてが、顧客体験を向上させるための「ジャーニー」です。
Journey Builderは、このような複数チャネルにまたがる1対1の顧客体験を、大規模かつ自動的に設計・実行するためのツールです。コンサルタントとして私たちがお客様に提案する代表的な応用シナリオには、以下のようなものがあります。
1. ウェルカムジャーニー
ニュースレターの購読や会員登録など、新しい接点が生まれた顧客に対して、ブランドの紹介や特典の案内を数日間にわたって自動的に配信します。エンゲージメントを高め、最初のポジティブな関係を築くための基本シナリオです。
2. かご落ち対策ジャーニー
ECサイトで商品をカートに追加したものの、購入に至らなかった顧客を特定し、リマインダーメールや、関連商品の提案、あるいは限定クーポンの提供などを通じて購入を後押しします。売上向上に直結する非常に効果的なシナリオです。
3. 再エンゲージメントジャーニー
長期間メールの開封やサイト訪問がない「休眠顧客」に対し、特別なオファーやアンケートなどを通じて再び関心を引きつけます。顧客離反を防ぎ、LTV(顧客生涯価値)を最大化することを目指します。
4. イベント連動ジャーニー
顧客の誕生日、会員ランクの更新日、製品の保証期間終了日間近など、特定のイベントをトリガーとして、パーソナライズされたメッセージを自動送信します。顧客との継続的な関係維持に貢献します。
原理説明
Journey Builderの仕組みを理解するためには、いくつかのコアコンポーネントを把握することが重要です。これらは、顧客がどのような旅を辿るのかを定義する設計図の要素となります。
1. Entry Source (エントリソース)
顧客がジャーニーを開始する「きっかけ」です。どのようなデータやイベントがトリガーになるかを定義します。主なエントリソースは以下の通りです。
- Data Extension (データエクステンション): マーケティング用の顧客リスト(テーブル)です。このデータエクステンションに新しいレコードが追加されたり、特定のセグメント条件を満たしたりした際にジャーニーを開始します。最も一般的なエントリソースです。
- API Event: 外部システム(例:自社のWebサイト、基幹システム、モバイルアプリ)からのAPIコールをトリガーとします。「商品を購入した」「フォームを送信した」といったリアルタイムの行動に即座に反応したい場合に最適です。
- Salesforce Data: Sales CloudやService Cloudのデータと連携し、Salesforce内のオブジェクト(例:リード、取引先責任者、ケース)が作成または更新されたことをトリガーにできます。CRMとマーケティング活動をシームレスに連携させる強力な機能です。
2. Activities (アクティビティ)
ジャーニーの経路内で実行される具体的なアクションです。これらをパズルのように組み合わせることで、複雑なシナリオを構築します。
- Messages (メッセージ): Emailの送信、SMSの送信、Push通知など、顧客に直接リーチするためのアクティビティです。
- Flow Control (フロー制御):
- Wait (待機): 次のアクションまで一定期間(数分、数時間、数日)待機させます。適切なタイミングでコミュニケーションを取るために不可欠です。
- Decision Split (決定分岐): 顧客の属性データ(例:「会員ランクがゴールドか?」)に基づいて、後続のパスを分岐させます。
- Engagement Split (エンゲージメント分岐): 直前に送信したメッセージに対する顧客の反応(例:「メールを開封したか?」「特定のリンクをクリックしたか?」)に基づいてパスを分岐させます。顧客の行動に応じてシナリオを最適化できます。
- Customer Updates (顧客データの更新): ジャーニーの途中で、顧客のData Extensionの情報を更新します。例えば、特定のリンクをクリックした顧客に「関心あり」フラグを立てる、といったことが可能です。
3. Goal (ゴール) & Exit Criteria (終了条件)
Goal (ゴール)は、そのジャーニーの最終的な目標を定義するものです。例えば、「商品の購入」や「イベントへの申し込み」をゴールに設定します。顧客がゴールを達成すると、そのコンバージョンが記録され、ジャーニーから離脱させることができます。これにより、商品を購入した顧客に「お買い忘れはありませんか?」というメールを送り続けるといった、気まずい体験を防ぎます。
Exit Criteria (終了条件)は、ゴールとは別に、特定の条件を満たした顧客をジャーニーから強制的に離脱させるためのルールです。「ニュースレターの購読を解除した」など、コミュニケーションを続けるべきでない顧客を即座に対象外とします。
サンプルコード
Journey Builderは主にUIで操作しますが、外部システムとの連携を考える上でAPIの活用は欠かせません。特に、リアルタイムな顧客行動をトリガーにする「API Event」エントリソースは非常に強力です。ここでは、外部のWebサーバーからAPIを呼び出して、特定の顧客をジャーニーに投入する際のコード例をSalesforce公式ドキュメントに基づいて紹介します。
これは、Journey BuilderのInteraction APIに対してPOSTリクエストを送信し、イベントを発火させる例です。これにより、EventDefinitionKeyで指定されたジャーニーが開始されます。
Journey Builderイベント発火APIリクエスト
POST /interaction/v1/events
Host: YOUR_SUBDOMAIN.rest.marketingcloudapis.com
Content-Type: application/json
Authorization: Bearer YOUR_ACCESS_TOKEN
{
"ContactKey": "user@example.com",
"EventDefinitionKey": "APIEvent-2f831964-6d53-3b53-b0e4-5390c58e2a25",
"Data": {
"EmailAddress": "user@example.com",
"FirstName": "Taro",
"LastName": "Yamada",
"OrderNumber": "100-202305-001",
"PurchaseDate": "2023-05-10T10:00:00Z",
"TotalAmount": 15000
}
}
コード詳細解説
POST /interaction/v1/events: イベントを発火させるためのAPIエンドポイントです。Host: ご自身のMarketing Cloudテナントに固有のサブドメインを指定します。Authorization: 事前に取得したOAuth 2.0アクセストークンを Bearer トークンとして指定します。ContactKey: Marketing Cloud内で連絡先を一意に識別するキーです。通常はメールアドレスや顧客IDが使われます。このキーを元にコンタクトが特定されます。EventDefinitionKey: Journey BuilderでAPI Eventエントリソースを作成した際に自動生成される一意のキーです。どのジャーニーを起動するかを指定します。Data: ジャーニー内で利用したい任意のデータをJSON形式で渡します。ここで渡したFirstNameやOrderNumberといった値は、ジャーニー内のメールコンテンツのパーソナライズ(例:「山田様、ご注文ありがとうございます」)や、Decision Splitの条件(例:「購入金額が10,000円以上か?」)として活用できます。
このAPI連携により、Webサイトでの購入完了、アプリ内での特定アクションなど、あらゆる顧客接点をリアルタイムでJourney Builderに連携させることが可能になります。
注意事項
Journey Builderは強力なツールですが、その効果を最大限に引き出すためには、いくつかの注意点を理解しておく必要があります。これらはコンサルティングの現場で特にお客様に強調するポイントです。
権限とセキュリティ
Journey Builderの作成、編集、有効化、停止には、Marketing Cloud内で適切な権限が付与されたユーザーロールが必要です。誰がジャーニーを操作できるのか、アクセス権の管理を徹底することが、意図しない変更や誤操作を防ぐ上で重要です。特に、本番環境のジャーニーを停止するなどの操作は影響が大きいため、権限分掌を明確にしましょう。
データ管理の重要性
ジャーニーの品質は、元となるデータの品質に完全に依存します。「Garbage In, Garbage Out(ゴミを入れれば、ゴミしか出てこない)」の原則がそのまま当てはまります。エントリソースとなるData Extensionの設計、Contact Builderにおけるコンタクトモデルの定義、そしてデータの鮮度と正確性を維持するためのプロセスが、パーソナライゼーションの成否を分けます。
API制限
前述のAPI Eventを利用する場合、Marketing CloudにはAPIリクエストのレート制限が存在します。大量のイベントを短時間に送信する可能性がある場合は、この制限に抵触しないよう、アーキテクチャを設計する必要があります。例えば、キューイングシステムを間に挟む、バッチ処理と組み合わせるなどの対策が考えられます。
徹底したテスト
有効化したジャーニーは、一度顧客が進入すると後戻りできません。そのため、本番稼働前のテストは必須です。Journey Builderにはテストモードがあり、指定した少数の連絡先に対してジャーニー全体の流れをシミュレーションできます。分岐ロジックが正しく機能するか、パーソナライズが意図通りに表示されるか、待機時間が適切かなど、全てのパスを網羅的にテストすることが不可欠です。
エラーハンドリングと監視
ジャーニーは長期間にわたって稼働する自動化プロセスです。途中でエラーが発生した場合(例:連携システムの不具合でデータが更新できない)、それに気づき、迅速に対応できる体制が必要です。Journey Builderの履歴や健全性チェック機能を定期的に確認し、問題発生時にはアラートが通知される仕組みを検討することも重要です。
まとめとベストプラクティス
Journey Builderは、単なるメール配信自動化ツールではありません。顧客一人ひとりの状況や行動に合わせて、チャネルを横断した最適なコミュニケーションを設計し、顧客との長期的な関係を育むための戦略的プラットフォームです。コンサルタントとして、成功するJourney Builder活用には以下のベストプラクティスが重要だと考えています。
- 目的から始める: 「Journey Builderで何ができるか」からではなく、「ビジネスとして何を達成したいか」から考え始めましょう。新規顧客のオンボーディング、休眠顧客の掘り起こし、LTV向上など、明確なKPI(重要業績評価指標)を設定することが、効果的なジャーニー設計の第一歩です。
- まずはジャーニーを紙に描く: ツールを触る前に、対象となる顧客ペルソナ、タッチポイント、メッセージ内容、タイミング、分岐条件などをホワイトボードや紙に描き出します。これにより、関係者間での認識齟齬がなくなり、ロジックの矛盾点も発見しやすくなります。
- シンプルに始めて、徐々に育てる: 最初から全ての可能性を盛り込んだ巨大で複雑なジャーニーを作ろうとしないでください。まずは主要なパスに絞ったシンプルなジャーニーから始め、その結果を分析しながら、A/Bテストや新しい分岐を追加していくアプローチが成功への近道です。
- パーソナライゼーションを徹底する: AMPscriptや動的コンテンツといった機能を駆使し、顧客の名前を差し込むだけでなく、過去の購買履歴や閲覧履歴に基づいたコンテンツを表示するなど、メッセージの関連性を極限まで高めましょう。
- エンゲージメントを「聞く」: 一方的にメッセージを送るだけでなく、Engagement Splitを活用して顧客の反応を「聞き」、その後のコミュニケーションを変化させましょう。メールを開封しない顧客には、別のチャネル(SMSなど)でアプローチする、といった適応的なシナリオが顧客体験を向上させます。
- Salesforceエコシステムと連携する: Journey BuilderをMarketing Cloud単体で完結させず、Sales CloudやService Cloudと連携させましょう。例えば、ジャーニー内でエンゲージメントが非常に高い顧客をSales Cloudのキャンペーンメンバーに追加したり、逆にService Cloudでケースが起票された顧客を一時的にマーケティングジャーニーから除外したりすることで、真に一貫性のある顧客体験が実現します。
Journey Builderを使いこなすことは、テクノロジーを導入すること以上の意味を持ちます。それは、顧客中心のマーケティング思想を組織に根付かせ、データに基づいた継続的な改善サイクルを回していく文化を醸成するプロセスそのものです。ぜひ本記事を参考に、貴社の顧客とのエンゲージメントを新たなレベルへと引き上げてください。
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