背景と適用シナリオ
Salesforce Service Cloudの中核をなすのは、問い合わせ、問題、リクエストを追跡・管理するためのCase (ケース) オブジェクトです。標準機能であるケース割り当てルールやエスカレーションルールは多くの基本的な業務要件を満たすことができますが、ビジネスが複雑化するにつれて、より高度で動的な自動化が求められるようになります。
例えば、以下のようなシナリオを考えてみましょう。
- ケースの説明文に含まれる特定のキーワード(例:「請求」「返品」「緊急」)に基づいて、専門スキルを持つ特定のチームやエージェントに自動で割り当てる。
- 顧客の契約レベル(SLA - Service Level Agreement)に応じて、ケースの優先度を自動的に設定し、関連するタスクを生成する。
- ケースが作成された際に、外部のプロジェクト管理システムにAPIコールを行い、関連チケットを作成する。
- 特定の製品に関するケースが「クローズ」された際に、ナレッジベースに記事の下書きを自動で作成する。
これらの複雑なロジックは、標準のワークフロールールやプロセスビルダー(廃止予定)、あるいは最新のFlowだけでは実現が難しい、またはパフォーマンス上の懸念が生じることがあります。このような状況で強力なソリューションとなるのが、Salesforce 開発者の専門領域である Apex (エイペックス) を活用したカスタマイズです。本記事では、特に Apex Trigger (Apexトリガー) を用いて、ケース管理プロセスを高度に自動化する方法について、具体的なコード例を交えながら解説します。
原理説明
Apexトリガーは、Salesforceのレコード(この場合はCase)が作成、更新、削除されるといった特定のイベント(DML - Data Manipulation Language 操作)の前後に、カスタムロジックを自動的に実行するための仕組みです。
開発者としてケース管理の自動化を実装する際、以下の主要な概念を理解することが不可欠です。
トリガーイベント
トリガーは、レコードのライフサイクルの特定の時点で起動します。Caseオブジェクトで主に使用されるイベントは以下の通りです。
- before insert: レコードがデータベースに保存される前に実行されます。入力値の検証や項目の自動入力に適しています。
- after insert: レコードが保存された直後に実行されます。作成されたレコードのIDが利用可能になるため、関連レコードの作成などに適しています。
- before update: レコードが更新される前に実行されます。更新内容の検証や、特定の条件に基づく更新のブロックに使用します。
- after update: レコードの更新が完了した後に実行されます。更新内容に基づいて関連レコードを操作したり、外部システムに通知したりする場合に使用します。
トリガーコンテキスト変数
トリガー内では、処理対象のレコードにアクセスするための特殊な変数(コンテキスト変数)が提供されます。
- Trigger.new: 新しく作成された、または更新後のレコードのリスト(
List<sObject>)。 - Trigger.old: 更新前のレコードのリスト(
List<sObject>)。insertイベントではnullです。 - Trigger.newMap: レコードIDをキー、更新後のレコードを値とするマップ(
Map<Id, sObject>)。 - Trigger.oldMap: レコードIDをキー、更新前のレコードを値とするマップ(
Map<Id, sObject>)。
トリガーハンドラーパターン
ベストプラクティスとして、トリガーファイル(.trigger)自体にはロジックを記述せず、ロジックの実行を専門のApexクラス(ハンドラークラス)に委譲することが強く推奨されます。これを「トリガーハンドラーパターン」と呼びます。
このパターンには、以下のような利点があります。
- コードの再利用性: 同じロジックを他の場所(例:バッチ処理、Visualforceコントローラー)から呼び出すことが容易になります。
- テストの容易性: ロジックがクラスのメソッドとして分離されているため、単体テストが書きやすくなります。
- 可読性と保守性: トリガーファイルがシンプルになり、どのようなイベントでどのロジックが呼ばれるかが一目でわかります。
- 実行順序の制御: 複雑なロジックを複数のメソッドに分割し、実行順序を明確に制御できます。
示例代码
ここでは、よくあるシナリオとして、「優先度が『High』のケースが作成または更新された場合に、ケース所有者のためのフォローアップタスクを自動で作成する」という要件を実装します。ただし、すでに同様のフォローアップタスクが存在する場合は、重複して作成しないようにします。
この実装は、Salesforce Developer Guideで推奨されている「1つのトリガーに1つのハンドラー」のパターンに従います。
1. CaseTrigger.trigger (トリガー本体)
トリガーファイルは、どのイベントでどのハンドラーメソッドを呼び出すかを指定するだけの、非常にシンプルなものにします。
trigger CaseTrigger on Case (after insert, after update) {
//
// developer.salesforce.com/docs/atlas.en-us.apexcode.meta/apexcode/apex_triggers_context_variables.htm
// The above document explains trigger context variables.
//
CaseTriggerHandler handler = new CaseTriggerHandler();
if (Trigger.isAfter) {
if (Trigger.isInsert) {
// ケース作成後のロジックを呼び出す
handler.onAfterInsert(Trigger.new);
} else if (Trigger.isUpdate) {
// ケース更新後のロジックを呼び出す
handler.onAfterUpdate(Trigger.new, Trigger.oldMap);
}
}
}
2. CaseTriggerHandler.cls (ハンドラークラス)
実際のビジネスロジックは、すべてこちらのクラスに記述します。コードは必ず一括処理(バルク処理)を念頭に置いて設計する必要があります。
// developer.salesforce.com/docs/atlas.en-us.apexcode.meta/apexcode/apex_triggers_bulk_logic.htm
// This class is designed based on the bulk trigger logic principles from the official documentation.
public with sharing class CaseTriggerHandler {
// ケース作成後の処理
public void onAfterInsert(List<Case> newCases) {
List<Case> highPriorityCases = new List<Case>();
for (Case cs : newCases) {
// 優先度が'High'のケースのみを対象とする
if (cs.Priority == 'High') {
highPriorityCases.add(cs);
}
}
if (!highPriorityCases.isEmpty()) {
createFollowUpTasks(highPriorityCases);
}
}
// ケース更新後の処理
public void onAfterUpdate(List<Case> newCases, Map<Id, Case> oldMap) {
List<Case> casesToProcess = new List<Case>();
for (Case newCase : newCases) {
Case oldCase = oldMap.get(newCase.Id);
// 優先度が'High'に変更された、または'High'のままで所有者が変更されたケースを対象とする
if (newCase.Priority == 'High' && (oldCase.Priority != 'High' || newCase.OwnerId != oldCase.OwnerId)) {
casesToProcess.add(newCase);
}
}
if (!casesToProcess.isEmpty()) {
createFollowUpTasks(casesToProcess);
}
}
// 共通のタスク作成ロジック
private void createFollowUpTasks(List<Case> targetCases) {
// Governorリミットを避けるため、まず対象ケースのIDをSetに格納する
Set<Id> caseIds = new Map<Id, Case>(targetCases).keySet();
// 既存のフォローアップタスクを検索し、重複作成を防ぐ
// SOQLクエリをループの外に出すことがバルク処理の基本
Set<Id> casesWithExistingTask = new Set<Id>();
for (Task t : [SELECT WhatId FROM Task WHERE WhatId IN :caseIds AND Subject = 'High Priority Case Follow-up']) {
casesWithExistingTask.add(t.WhatId);
}
List<Task> tasksToInsert = new List<Task>();
Date today = Date.today();
for (Case cs : targetCases) {
// 既存タスクがない場合のみ、新しいタスクを作成する
if (!casesWithExistingTask.contains(cs.Id)) {
Task newTask = new Task();
newTask.Subject = 'High Priority Case Follow-up';
newTask.OwnerId = cs.OwnerId; // ケースの所有者にタスクを割り当てる
newTask.WhatId = cs.Id; // ケースに関連付ける
newTask.ActivityDate = today.addDays(1); // 期日を翌日に設定
newTask.Status = 'Not Started';
newTask.Priority = 'High';
tasksToInsert.add(newTask);
}
}
// DML操作もループの外で一度だけ実行する
if (!tasksToInsert.isEmpty()) {
try {
insert tasksToInsert;
} catch (DmlException e) {
// エラーハンドリング: Chatterへの投稿、カスタムログオブジェクトへの記録など
System.debug('Failed to create follow-up tasks: ' + e.getMessage());
}
}
}
}
注意事項
Apexトリガーを実装する際には、Salesforceプラットフォームの制約とベストプラクティスを遵守することが極めて重要です。
権限 (Permissions)
Apexトリガーはデフォルトで「システムモード」で実行されます。これは、トリガーを実行したユーザーの権限に関わらず、オブジェクトや項目へのアクセス権がシステム管理者レベルで評価されることを意味します。しかし、ハンドラークラスに with sharing キーワードを付与すると、ユーザーの共有ルールが適用されるようになります。要件に応じて、with sharing、without sharing、または inherited sharing を明示的に指定することが推奨されます。上記の例では、ケース所有者の共有設定を尊重するため with sharing を使用しています。
API 制限 (API Limits)
Salesforceには、1つのトランザクション内で実行できるSOQLクエリの数(100回)やDML操作の回数(150回)などに厳しい制限(Governor Limits - ガバナ制限)が設けられています。
- バルク処理: 上記のコード例のように、
forループの中にSOQLクエリやDMLステートメント(insert,update)を絶対に配置しないでください。データローダーや一括更新で200件のレコードが一度に処理されると、ループ内のSOQLは即座にガバナ制限を超えてしまいます。 - 効率的なクエリ: 必要な項目のみをSELECT句に含め、WHERE句で適切に絞り込むことで、クエリのパフォーマンスを向上させます。
再帰的トリガー (Recursive Triggers)
トリガーがレコードを更新し、その更新が原因で同じトリガーが再び起動されるという無限ループ(再帰呼び出し)が発生することがあります。これを防ぐためには、static変数を用いたフラグを実装するのが一般的です。
public class MyTriggerHandler {
private static boolean hasRun = false;
public void onAfterUpdate(List<SObject> newRecords) {
if (!hasRun) {
hasRun = true;
// ここに更新ロジックを記述
// update someRecords;
}
}
}
エラー処理 (Error Handling)
DML操作は失敗する可能性があります(例:入力規則違反、必須項目の欠落)。try-catch ブロックを使用してDmlExceptionを捕捉し、適切なエラー処理(ログの記録、管理者に通知など)を実装することが重要です。ユーザーにエラーをフィードバックする必要がある場合は、before トリガーで addError() メソッドを使用します。
まとめとベストプラクティス
Apexトリガーは、Salesforceのケース管理プロセスをビジネス要件に合わせて深くカスタマイズし、自動化するための強力なツールです。宣言的なツール(Flowなど)で対応できない複雑なロジック、高いパフォーマンスが求められる処理、外部システムとの連携などを実現する上で、開発者にとって不可欠なスキルセットです。
成功するApexトリガー開発のためのベストプラクティスを以下にまとめます。
- One Trigger Per Object: 1つのオブジェクトには1つのトリガーのみを作成します。これにより、複数のトリガーが同じイベントで起動する際の実行順序の不確実性を排除できます。
- Logic-less Triggers: トリガー本体にはロジックを記述せず、ハンドラークラスに処理を委譲します。
- Bulkify Your Code: コードは常に複数のレコードを処理できるように設計します。単一レコードの処理を前提としたコードは、本番環境で問題を引き起こす可能性が非常に高いです。
- Declarative First: 可能な限り、まずはFlowなどの宣言的ツールで要件を満たせないか検討します。Apexは、それらのツールでは実現不可能な場合にのみ使用します。
- Write Comprehensive Test Classes: すべてのApexトリガーには、十分なカバレッジ(最低75%以上)を持つテストクラスが必須です。ポジティブシナリオ、ネガティブシナリオ、バルク処理シナリオを網羅的にテストし、品質を担保します。
Salesforce 開発者として、これらの原則を遵守することで、スケーラブルで保守性が高く、信頼性のあるケース管理自動化ソリューションを構築し、企業のカスタマーサービス品質向上に大きく貢献することができます。
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