Salesforce Einstein 1 Platformアーキテクトガイド:信頼できるAIとCRMデータの統合を解き放つ


背景と適用シナリオ

Salesforce Architect(セールスフォース・アーキテクト)として、私たちは単なる技術的な実装者ではなく、ビジネスビジョンと技術的な可能性を繋ぐ架け橋となる責務を負っています。今日のデジタル環境において、企業が直面する最大の課題は、サイロ化されたデータと、それによって分断された顧客体験です。顧客データは、CRM、Eコマースプラットフォーム、ERP、さらにはレガシーシステムなど、無数の場所に散在しています。このデータの断片化は、真にパーソナライズされたインテリジェントな顧客エンゲージメントの実現を妨げる大きな障壁となってきました。

このような課題を解決するために登場したのが、Einstein 1 Platform(アインシュタイン・ワン・プラットフォーム)です。これは単なるAI機能の追加や製品の名称変更ではありません。Salesforceの根幹をなすアーキテクチャの進化であり、すべてのアプリケーションがデータを共有し、AIを活用し、メタデータを通じて連携するための統合基盤です。

具体的な適用シナリオを考えてみましょう。あるグローバルな小売企業は、以下の目標を掲げています。

  • ウェブサイトでの閲覧履歴、実店舗での購買履歴、サービスセンターへの問い合わせ履歴を統合し、すべてのチャネルで一貫した顧客ビューを構築する。
  • 顧客の過去の行動や嗜好に基づき、サービス担当者が問い合わせに応答する際に、最適なアップセル商品をリアルタイムで推奨するAIアシスタントを提供する。
  • マーケティングチームが、特定の顧客セグメント(例:「過去3ヶ月以内に高価格帯商品を購入し、最近サポートケースを起票した顧客」)に対して、パーソナライズされた謝罪と特別オファーを含むメールを自動生成できるようにする。

従来のアプローチでは、これらの要件を実現するためには、複数のシステムをETLツールで連携し、データウェアハウスを構築し、個別のAIモデルを開発・維持する必要がありました。しかし、Einstein 1 Platformアーキテクチャを採用することで、これらのプロセスをSalesforceプラットフォーム上でシームレスに実現することが可能になります。


原理説明

Einstein 1 Platformの真価を理解するためには、その中核をなすアーキテクチャの3つの柱を理解することが不可欠です。アーキテクトの視点から、それぞれの構成要素がどのように連携し、相乗効果を生み出すのかを解説します。

1. Hyper-scale Data Engine: Data Cloud

すべてのインテリジェンスの源泉はデータです。Einstein 1 Platformの基盤となるのが、Data Cloud(データクラウド)です。これは従来のCDP(顧客データ基盤)の概念を遥かに超えるものです。Data Cloudは、Salesforce内外のあらゆるソースからのデータをリアルタイムで取り込み、統合・調和させるためのハイパースケールなデータエンジンです。

アーキテクチャ上の重要性:

  • Zero-ETL/Zero-Copy Architecture: SnowflakeやGoogle BigQueryなどの主要なデータレイクと連携し、データを物理的に移動させることなく、Salesforce内で直接アクセス・活用できます。これにより、データの鮮度を保ちつつ、ETLプロセスの開発・維持コストを大幅に削減します。
  • Canonical Data Model: 取り込まれたデータは、Data Model Objects (DMOs) という標準化されたオブジェクトモデルにマッピングされます。これにより、データの意味的な一貫性が保たれ、プラットフォーム上のすべてのアプリケーションが同じ「言語」でデータを理解できるようになります。アーキテクトにとって、このデータモデリングは設計の最も重要なフェーズです。
  • Real-time Processing: Data Cloudはストリーミングデータとバッチデータの両方を処理でき、リアルタイムの顧客セグメンテーションやインサイトの抽出を可能にします。

Data Cloudは、分断されたデータを、AIが活用できる単一の信頼できる情報源(Single Source of Truth)へと変換する、まさに土台そのものです。

2. Einstein AI Layer with Trust Layer

Data Cloudによって整備されたリッチな顧客データの上に、Einstein AI Layer(アインシュタインAIレイヤー)が位置します。このレイヤーは、従来の予測AIモデルだけでなく、生成AIの能力をプラットフォーム全体に提供します。

アーキテクチャ上の重要性:

  • Open LLM Ecosystem: Salesforce独自のLLM(大規模言語モデル)だけでなく、OpenAI、Anthropic、Google Vertex AIなどの外部LLMともシームレスに連携します。これにより、特定のユースケースに最適なモデルを選択する柔軟性が得られます。
  • Prompt Builder & Templates: ビジネスユーザーや管理者が、自然言語で指示(プロンプト)を作成し、Data Cloudの顧客データを動的に埋め込むことができるPrompt Templates(プロンプトテンプレート)は、生成AI活用の民主化を促進します。
  • Einstein Trust Layer: AIを活用する上で最も重要なのが「信頼」です。Einstein Trust Layer(アインシュタイン・トラスト・レイヤー)は、すべてのAIインタラクションに介在するセキュアなゲートウェイです。データマスキングによって個人情報(PII)がLLMに送信されるのを防ぎ、有害なコンテンツを検出し、すべてのやり取りを監査ログとして記録します。さらに、Zero-Data Retention(データ非保持)ポリシーにより、顧客データが外部のLLMに保持されないことを保証します。これは、エンタープライズレベルのAI活用における必須のアーキテクチャコンポーネントです。

3. Metadata Framework

Salesforceが長年にわたり成功してきた理由の一つは、その強力なMetadata Framework(メタデータフレームワーク)にあります。オブジェクト、項目、ページレイアウト、Apexコード、すべてがメタデータとして定義され、プラットフォームのカスタマイズ性とアップグレード可能性を両立させてきました。Einstein 1 Platformは、このフレームワークをData CloudとAIの世界に拡張します。

アーキテクチャ上の重要性:

  • Unified Metamodel: Data CloudのDMO、セグメンテーションの定義、Prompt Templateなどがすべてメタデータとして扱われます。これにより、開発者は使い慣れたApex、Flow、APIを通じて、これらの新しいコンポーネントを操作し、自動化し、ビジネスロジックに組み込むことができます。
  • Einstein Copilot: Einstein 1 Platformの能力をユーザーに提供する対話型AIアシスタントであるEinstein Copilot(アインシュタイン・コパイロット)も、このメタデータフレームワーク上で構築されています。Copilotが実行できるアクション(Copilot Actions)は、標準機能だけでなく、カスタムのFlowやApexクラスをメタデータとして登録することで拡張できます。これにより、企業固有の複雑な業務プロセスをAIアシスタントに実行させることが可能になります。

これら3つの柱が相互に連携することで、Einstein 1 Platformは、信頼できるデータ基盤の上で、安全かつカスタマイズ可能なAI体験を提供する、真の統合プラットフォームとなるのです。


サンプルコード

アーキテクトとして、私たちは宣言的なツールを優先しますが、時にはプログラムによる制御が必要になります。Einstein 1 Platformでは、メタデータフレームワークのおかげで、Apexから生成AIの機能を呼び出すことができます。ここでは、事前に作成したPrompt TemplateをApexから呼び出し、取引先オブジェクトの情報を基にパーソナライズされたフォローアップメールの下書きを生成する例を示します。

このコードは、ConnectApi.PromptBuilderクラスを使用しており、Salesforceの標準的なAPIを通じて生成AIと対話するベストプラクティスを示しています。

Apexコード例:Prompt Templateの実行

public class EinsteinGenerativeAiService {

    // 外部サービスへのコールアウトを許可するアノテーション
    @future(callout=true)
    public static void generateFollowUpEmail(Id accountId) {

        // 取引先情報を取得
        Account acc = [SELECT Id, Name, Description FROM Account WHERE Id = :accountId LIMIT 1];
        if (acc == null) {
            System.debug('Account not found.');
            return;
        }

        // Prompt TemplateのAPI名(管理画面で設定)
        String templateApiName = 'FollowUpEmailToCustomer';

        // Prompt Templateへの入力を準備する
        ConnectApi.PromptTemplateInput promptTemplateInput = new ConnectApi.PromptTemplateInput();

        // テンプレート内で定義された関連オブジェクトへの入力を設定
        // ここでは 'Account' という名前の入力変数に、取引先レコードを渡している
        promptTemplateInput.relatedRecord = acc;

        // Prompt Templateの実行
        // ConnectApi.PromptBuilder.executePromptTemplateメソッドを使用
        try {
            ConnectApi.PromptOutput promptOutput = ConnectApi.PromptBuilder.executePromptTemplate(templateApiName, promptTemplateInput);
            
            // 生成されたレスポンスを取得
            if (promptOutput.promptInstructions != null && !promptOutput.promptInstructions.isEmpty()) {
                ConnectApi.PromptInstruction promptInstruction = promptOutput.promptInstructions[0];

                if (promptInstruction.instruction != null && promptInstruction.instruction.response != null) {
                    String generatedEmailBody = promptInstruction.instruction.response;

                    // 生成されたメール本文をカスタム項目に保存するなどの後続処理
                    System.debug('Generated Email Body for ' + acc.Name + ': ' + generatedEmailBody);
                    
                    // 例:取引先のカスタム項目に結果を保存
                    // acc.Generated_Email_Draft__c = generatedEmailBody;
                    // update acc;

                } else {
                    System.debug('The prompt response was empty.');
                }
            }
        } catch (ConnectApi.ConnectApiException e) {
            // APIエラーのハンドリング
            System.debug('Error executing prompt template: ' + e.getMessage());
            // エラーハンドリングロジック(例:カスタムログオブジェクトへの記録)
        }
    }
}

コードの解説:

  • @future(callout=true): LLMへのAPIコールは外部コールアウトとして扱われるため、非同期実行(Futureメソッドなど)が必要です。これにより、トランザクションの整合性を保ち、ガバナ制限を回避します。
  • ConnectApi.PromptTemplateInput: プロンプトテンプレートに渡すための入力オブジェクトです。relatedRecordプロパティにSObjectを直接渡すことで、テンプレート側で{!Account.Name}のようにレコードの項目を簡単に参照できます。
  • ConnectApi.PromptBuilder.executePromptTemplate: このメソッドが中核部分です。第一引数にPrompt TemplateのAPI名を、第二引数に入力オブジェクトを取ります。
  • ConnectApi.PromptOutput: 実行結果がこのオブジェクトで返されます。生成されたテキストは、promptInstructions[0].instruction.response の中に格納されています。
  • エラーハンドリング: ConnectApiExceptionをキャッチし、APIコールが失敗した場合(例:無効なテンプレート名、権限不足、LLM側のエラーなど)に備えることが重要です。

注意事項

Einstein 1 Platformを設計・導入する際には、以下の点に注意する必要があります。

権限とアクセス制御

Prompt Templateの作成、編集、実行には特定のユーザー権限が必要です。「AI 機能の有効化」や「プロンプトテンプレートを管理」などの権限セットを適切に割り当て、意図しないユーザーが生成AI機能を利用できないように制御することが不可欠です。

API制限とガバナ制限

生成AIの呼び出しは、他のAPIコールと同様に、組織ごとの制限の対象となります。大量のレコードに対して一括でメール生成などを行う場合は、APIコール数を考慮した設計が必要です。FutureメソッドやQueueable Apex、Batch Apexを適切に使い分け、一度に大量のコールアウトが発生しないように注意してください。

Einstein Trust Layerの構成

Trust Layerはデフォルトで有効になっていますが、アーキテクトはその設定を深く理解し、ビジネス要件に合わせて構成する必要があります。特に、データマスキングのレベルや、監査ログの監視方法については、セキュリティチームやコンプライアンスチームと連携して決定することが重要です。

プロンプトエンジニアリング

生成AIの品質は、プロンプトの品質に大きく依存します。Prompt Templateを作成する際には、明確で、文脈に沿った、具体的な指示を与えることが求められます。「良いメールを書いて」という曖昧な指示ではなく、「以下の取引先情報を基に、丁寧かつプロフェッショナルなトーンで、前回の商談のお礼と次回のステップを提案するフォローアップメールの下書きを作成してください」のように、具体的な役割、トーン、フォーマット、目的を指示することが高品質な結果に繋がります。


まとめとベストプラクティス

Einstein 1 Platformは、Salesforceを単なるCRMから、データ、AI、CRM、そして信頼を一つのプラットフォームに統合した、次世代のインテリジェントな顧客関係管理基盤へと昇華させます。

Salesforce Architectとして、この強力なプラットフォームを最大限に活用するためのベストプラクティスは以下の通りです。

  1. データ戦略から始める: すべての成功は、クリーンで統合されたデータから始まります。Data Cloudのデータモデル設計に最も時間を投資してください。どのデータを、どの頻度で、どのように統合し、調和させるか。この初期設計が、その後のAI活用の成否を左右します。
  2. 宣言的アプローチを優先する: FlowやPrompt Builderなどの宣言的なツールを最大限に活用しましょう。これらはメンテナンス性が高く、ビジネスの変化に迅速に対応できます。Apexによる開発は、宣言的ツールでは実現できない複雑なロジックや外部システム連携が必要な場合に限定します。
  3. 信頼を設計に組み込む: 設計の初期段階からEinstein Trust Layerの活用を前提とします。データのプライバシーとセキュリティは、後から追加する機能ではなく、アーキテクチャの根幹に組み込むべき要素です。
  4. 反復的なアプローチを取る: 最初から完璧なAIソリューションを目指すのではなく、特定のユースケースに絞ってPoC(概念実証)を開始し、ビジネス価値を測定しながら段階的に拡張していくアプローチが成功の鍵です。ユーザーからのフィードバックを基に、Prompt Templateを継続的に改善していきましょう。

Einstein 1 Platformは、私たちアーキテクトに、これまで以上に革新的で価値のあるソリューションを構築するための強力なツールセットを提供してくれます。その真の力を引き出すためには、個々の技術要素を理解するだけでなく、それらがどのように連携し、ビジネス価値を生み出すのかという全体像を常に意識することが不可欠です。

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