背景と応用シナリオ
SalesforceにおけるCase Management (ケース管理)は、Service Cloud (サービスクラウド)の中核をなす機能であり、顧客からの問い合わせ、問題、リクエストなどを一元的に追跡・管理するための仕組みです。技術アーキテクトの視点から見ると、これは単なるデータレコードの集まりではなく、顧客満足度を向上させ、サポート業務の効率を最大化するための戦略的なプラットフォームです。
中心となるオブジェクトはCase (ケース)であり、これは顧客からの個々の問い合わせ一つ一つを表します。ケースは様々なチャネルから生成されます。
- Email-to-Case (メール-to-ケース): 指定されたメールアドレスに送信された顧客のメールを自動的にケースとして作成します。
- Web-to-Case (Web-to-ケース): 企業のウェブサイトに設置されたフォームから送信された問い合わせをケースとして作成します。
- API連携: 外部システムやカスタムアプリケーションからAPI経由でケースを作成・更新します。
- 手動作成: サポートエージェントが電話やチャットでの応対内容を基に手動でケースを作成します。
応用シナリオは多岐にわたります。一般的なカスタマーサポートの問い合わせ管理はもちろんのこと、IT部門のヘルプデスクチケットシステム、製品の不具合報告、社内人事部への申請管理など、あらゆる「依頼と対応」のプロセスに適用可能です。堅牢なケース管理システムを設計することは、サービス品質の標準化、対応状況の可視化、そして将来のサービス改善に繋がるデータ分析の基盤を築く上で不可欠です。
原理説明
効果的なケース管理システムを構築するためには、その背後にある技術的な原理を深く理解する必要があります。データモデル、ライフサイクル管理、そして自動化の仕組みがその三本柱となります。
データモデル
ケース管理のデータモデルは、Caseオブジェクトを主軸に、関連する標準オブジェクトとのリレーションシップによって構成されています。
- Account (取引先) & Contact (取引先責任者): どの企業のどの担当者からの問い合わせであるかを紐付けます。B2Cのシナリオでは、Person Account (個人取引先)が利用されることもあります。
- Asset (資産): 顧客が所有する特定の製品やサービスに関連する問い合わせである場合、その資産レコードとケースを紐付けます。これにより、製品ごとの問題発生傾向などを分析できます。
- CaseComment (ケースコメント): ケースに関する社内向けのメモや議論を記録します。
- EmailMessage (メールメッセージ): Email-to-Caseやエージェントが送信したメールの履歴を管理します。顧客とのコミュニケーションの完全な記録を保持します。
- Attachment (添付ファイル) & Files (ファイル): 顧客から送られたスクリーンショットやログファイルなどを関連付けます。
この標準データモデルを理解し、ビジネス要件に応じてカスタム項目やカスタムオブジェクトで拡張していくことがアーキテクトの役割です。
ケースライフサイクルと自動化
ケースは「新規作成」から「クローズ」までの一連のライフサイクルを辿ります。このプロセスを効率化し、サービスレベルを維持するために、Salesforceは強力な自動化ツールを提供しています。
- Case Assignment Rules (ケース割り当てルール): ケースが作成または更新された際に、定義された条件(例:製品カテゴリ、問い合わせ種別、顧客の地域など)に基づいて、適切なUser (ユーザ)またはQueue (キュー)に自動的に割り当てる機能です。これにより、手動での振り分け作業をなくし、担当者が迅速に対応を開始できます。
- Case Escalation Rules (ケースエスカレーションルール): 定められた時間内(SLA: Service Level Agreement)にケースがクローズされない場合に、自動的に上位の管理者や特定のチームに通知したり、ケースの所有者を変更したりするルールです。対応漏れや遅延を防ぐために極めて重要です。
- Auto-Response Rules (自動レスポンスルール): 顧客からケースが登録された際に、「お問い合わせありがとうございます」といった定型メールを自動返信する機能です。顧客に安心感を与え、問い合わせが正しく受け付けられたことを伝えます。
- Flow & Apex: 上記の標準機能でカバーできない複雑なビジネスロジックを実装する際に使用します。例えば、「特定のキーワードを含むケースが作成されたら、外部のナレッジシステムにAPIで問い合わせ、関連する記事をケースに添付する」といった高度な自動化は、Flow (フロー)やApex (エイペックス)によって実現可能です。アーキテクトは、要件の複雑性や将来のメンテナンス性を考慮し、「Clicks-not-Code」の理念に基づき、可能な限り標準機能やFlowを優先し、必要に応じてApexを選択する判断を下します。
示例代码
ここでは、より高度なビジネス要件に対応するためのApexトリガの例を示します。シナリオとして、「ケースの優先度が『High』に設定された場合、ケース所有者に対して24時間後を期限とするフォローアップのToDo(Task)を自動で作成する」というものを想定します。このコードは、Apexのベストプラクティスである「Trigger Handlerパターン」を用いており、ロジックをトリガ本体から分離しています。
注意: 以下のコードはSalesforce公式ドキュメントのApex Developer Guideに記載されている設計パターンと構文に基づいています。
1. トリガ本体 (CaseTrigger.trigger)
トリガは非常にシンプルに保ち、実際の処理はハンドラクラスに委譲します。
trigger CaseTrigger on Case (after insert, after update) { if (Trigger.isAfter) { if (Trigger.isInsert) { CaseTriggerHandler.handleAfterInsert(Trigger.new); } if (Trigger.isUpdate) { CaseTriggerHandler.handleAfterUpdate(Trigger.new, Trigger.oldMap); } } }
2. ハンドラクラス (CaseTriggerHandler.cls)
実際のビジネスロジックをこのクラスに記述します。これにより、コードの再利用性が高まり、単体テストも容易になります。
public with sharing class CaseTriggerHandler { /** * @description ケースの更新後に呼び出されるメソッド * @param newCases トリガで渡された新しいCaseレコードのリスト * @param oldCaseMap トリガで渡された古いCaseレコードのMap */ public static void handleAfterUpdate(List<Case> newCases, Map<Id, Case> oldCaseMap) { // 作成するTaskレコードを格納するリスト List<Task> tasksToCreate = new List<Task>(); // ループ処理で各ケースを評価 for (Case newCase : newCases) { // 以前の優先度を取得 Case oldCase = oldCaseMap.get(newCase.Id); // 条件のチェック: // 1. 優先度が 'High' に変更された // 2. 以前の優先度は 'High' ではなかった // 3. ケースがまだクローズされていない if (newCase.Priority == 'High' && oldCase.Priority != 'High' && !newCase.IsClosed) { // ToDo (Task) オブジェクトのインスタンスを作成 Task followUpTask = new Task(); followUpTask.Subject = 'High Priority Case: ' + newCase.CaseNumber + ' のフォローアップ'; followUpTask.WhatId = newCase.Id; // ToDoをケースに関連付ける followUpTask.OwnerId = newCase.OwnerId; // ToDoの担当者をケースの所有者と同じにする followUpTask.ActivityDate = Date.today().addDays(1); // 期限を翌日に設定 followUpTask.Status = 'Not Started'; // ステータスを「未着手」に設定 followUpTask.Priority = 'High'; // ToDo自体の優先度も高く設定 // 作成リストに追加 tasksToCreate.add(followUpTask); } } // 作成するTaskがあれば、DML操作を実行 // リストが空でないことを確認することで、不必要なDMLを避ける(ガバナ制限対策) if (!tasksToCreate.isEmpty()) { try { insert tasksToCreate; } catch (DmlException e) { // エラーハンドリング:実際にはエラーログを記録するなどの処理を追加する System.debug('Failed to create follow-up tasks: ' + e.getMessage()); } } } /** * @description ケースの新規作成後に呼び出されるメソッド * @param newCases トリガで渡された新しいCaseレコードのリスト */ public static void handleAfterInsert(List<Case> newCases) { // 新規作成時にも同様のロジックが必要な場合はここに記述する // 今回の要件は更新時のみだが、将来の拡張性のためにメソッドを用意しておく } }
注意事項
エンタープライズレベルで安定したケース管理システムを運用するためには、いくつかの技術的な制約や設計上の考慮事項を念頭に置く必要があります。
権限 (Permissions)
- Object-Level Security (オブジェクトレベルセキュリティ): プロファイルや権限セットを用いて、ユーザがCaseオブジェクトに対して実行できる操作(作成、参照、編集、削除)を制御します。サポートエージェント、マネージャー、一般ユーザでアクセスレベルを明確に分ける必要があります。
- Field-Level Security (項目レベルセキュリティ): ケース内の特定の項目(例:個人情報や技術的な内部メモなど)へのアクセスを制限します。
- Sharing Rules (共有ルール): 役職階層に基づく共有設定だけでは不十分な場合、条件に基づいた共有ルールやApexによる共有管理(Apex Managed Sharing)を用いて、特定のケースを特定のチームやユーザにのみ公開する設定が可能です。例えば、「日本の顧客のケースは日本のサポートチームのみが参照可能」といった要件を実現します。
API制限 (API Limits)
- Governor Limits (ガバナ制限): ApexトリガやFlowは、Salesforceのマルチテナント環境を保護するためのガバナ制限の下で実行されます。1トランザクション内で発行できるSOQLクエリの数(同期処理で100回)、DMLステートメントの数(同期処理で150回)、CPU使用時間などに上限があります。上記のサンプルコードのように、ループ内でDMLやSOQLを発行せず、リストにまとめて一度に処理する「バルク化(Bulkification)」は必須のテクニックです。
- API Call Limits (APIコール制限): 外部システムとの連携で大量のケースをリアルタイムに作成・更新する場合、組織全体で利用可能な24時間あたりのAPIコール数の上限を意識する必要があります。バッチ処理やBulk APIを利用して、効率的にデータを同期するアーキテクチャを検討することが重要です。
エラー処理とデータ量 (Error Handling & Data Volume)
- エラー処理: Apexコードには必ず
try-catch
ブロックを実装し、予期せぬエラーが発生した際にトランザクションが失敗しても、その原因をログに記録したり、管理者に通知したりする仕組みを構築すべきです。また、入力規則やApexのaddError()
メソッドを用いて、不正なデータが保存されることを防ぎます。 - データ量: ケースデータは時間とともに急速に増加する傾向があります。数百万件を超えるケースが存在する場合、レポートのパフォーマンス低下や、SOQLクエリの非選択的(non-selective)な実行によるエラーが発生する可能性があります。インデックスを付与した項目で検索条件を絞り込む、古いケースを定期的にアーカイブ(別のオブジェクトや外部ストレージに移動)するなどのデータ管理戦略が不可欠です。
まとめとベストプラクティス
Salesforceにおけるケース管理は、顧客サービスの品質を決定づける重要な要素です。技術アーキテクトは、ビジネス要件を深く理解した上で、標準機能とカスタム開発を最適に組み合わせ、スケーラブルで保守性の高いソリューションを設計する責任を負います。
ベストプラクティス
- Declarative First (宣言的アプローチを優先): 可能な限り、ケース割り当てルール、エスカレーションルール、Flowといった標準機能や宣言的ツールを活用します。これにより、開発速度が向上し、専門的な開発者でなくてもメンテナンスが容易になります。Apexによる開発は、これらのツールでは実現不可能な複雑な要件に限定します。
- Scalabilityを考慮した設計: 設計の初期段階からデータ量とトランザクション量を想定し、ガバナ制限に抵触しない設計を心がけます。特に、大量のデータ処理が必要な場合は、非同期処理(@future, Queueable Apex, Batch Apex)の利用を検討します。
- Single Source of Truth (信頼できる唯一の情報源): 顧客との全てのやり取り(メール、チャット、電話ログなど)をケースレコードに関連付けることで、Salesforceを「信頼できる唯一の情報源」として確立します。これにより、どのエージェントが対応しても、一貫性のあるサービスを提供できます。
- エージェントの生産性向上: Console App (コンソールアプリケーション) を活用し、エージェントが複数のレコードをタブで切り替えながら効率的に作業できるUIを提供します。また、Lightningページのコンポーネントを最適化し、必要な情報を一目で把握できるように設計します。
- 継続的な監視と改善: 定期的にケースの解決時間、初回応答時間、エスカレーション発生率などのKPIを分析し、ボトルネックとなっているプロセスを特定します。レポートとダッシュボードを活用してサービス品質を可視化し、継続的な改善サイクルを回すことが成功の鍵です。
これらの原理とベストプラクティスを遵守することで、単なる問い合わせ管理システムではなく、企業の成長を支える戦略的なサービスプラットフォームとしてのケース管理を構築することが可能になります。
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